#16 「自分が良いと思っているものが誰にとっても良いとは限らない」という当たり前のことが実はわかっていない人が多い件

代表 橋爪のつれづれ。「なやっぽのゴールはなやっぽのような活動がなくなるくらい、ママが自分らしく安心して子育てができる社会。」そこに向けてたった1人でも、たった一瞬でも、ママが安心できるように配信していきます。

私の周りには「お母さんのために」活動している方がたくさんいます。

自分自身の経験と重ねて、他のお母さんが同じ想いをしないために
より良い社会を目指すために
子どもたちのために

理由は様々。

「お母さんのために」私も活動しているし、なやっぽはそういう想いを持ったお母さんたちの集団です。

だけどこの「お母さんのために」をたまに履き違えてる方がいて困る。

というか、自分の持っている経験やスキルが誰にとっても良いものだと勘違いしている人が、一定数、います。

さらに、例えば「今まではちゃんとやらなきゃって思っていたけど、そう思うのをやめました」と言うお母さんに「素晴らしい!そういうの、大事だよね」と言ってしまう人とか。

「素晴らしい」かどうか決めるのはお母さん自身なのにな・・・。とか思ってしまったり。

私もコーチングによってコミュニケーションを学んでいろんなことが変化しましたし、自分に自信が持てる部分もずいぶん増えました。

自分や相手とのコミュニケーションを学べば学ぶほど、「良い」と思うものの選択肢は山のようにあって、そのどれを選ぶか?いつ選ぶか?どの場面で行動するか?は人それぞれだと感じます。

コミュニケーションを学ぶ人たちの中でよく言われるのが、「学んでほしい人に限って『私は大丈夫』だと思っている」という言葉。

例えばさっきの、「今まではちゃんとやらなきゃって思っていたけど、そう思うのをやめました」と言うお母さんに「素晴らしい!そういうの、大事だよね」と言ってしまう人。

その人がもしかしたら「でも本当はちゃんとやりたいのにな」という想いを抱えているかもしれないということを想像したうえで発している言葉なのでしょうか?

「このスキル、絶対学んだ方がいいよ」という人。

そのスキルを学んだその人を見て、なぜ学びたいと相手が思わなかったのか、考えたことがあるでしょうか?

経験やスキルは、その人自身の「在り方」としてしか表現できないものだと私は感じています。

同じスキルを身につけている人たちでも、その深さや姿勢で全く違うものに感じることもよくあることです。

「お母さんのために」活動するのであれば主役は「お母さん」であるべきで、自分ではないことに気づいていない人は案外多いなぁと。

当然、これは私自身にも当てはまることですので、定期的に振り返るために自戒も込めての記事にしてみました。
今回はなんだか自己満足の記事になってしまいました(あ、いつもか笑)

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