先日、ある保育士さんとお話しする機会があった時のこと。
「『いじめ』という言葉は園児にはわからないですよね!」とおっしゃっていて。
とても保育に熱心なこの先生には、そうであってほしい、という「願い」が込められていたのかもしれませんね。
ただ、先生のお話を聞いていて残念だなと思ったのは、熱心だからこその「願い」が隠してしまっている視点があることにお気付きではないのかもしれないと感じたことでした。
わからない子も多いかもしれないけれど、もうすでにわかっている子もいるかもしれない。
「いじめ」という言葉の定義が先生とは違っていて、「いじめられている」と感じる子がいるかもしれない。
無意識に思い込んでしまっている状態では、こういった視点が見にくくなってしまうこともあります。だからこそ、園や学校、職場のようにたくさんの人が集まっているところでは、コミュニケーションを円滑にすることでお互いの視点を補い合える利点があります。
また、想いが強ければ強いほど、視野が狭くなるのは親も同じこと。ただ、家庭にはたくさんの人がいるわけではないことが多く、視点を補い合える環境にないからこそ、私たち一人ひとりが視点を増やしておく、ということが大切になってきます。
私自身も、たくさん失敗をして、たくさん苦い想いもしながらの子育てです。周りの優しい友人や家族は、「橋爪はきっと子どもたちのことを思って行動しているんだろう。見守ってあげよう」と、口をつぐませてしまっていたのかもしれないなぁと今ならわかります。
自分がこうしたい、という想いを持ちつつ人に意見を聞く、というのはなかなか大変なことではありますが、私たちが無意識に持ってしまっている「思い込み」や「決めつけ」に気付くことができるのは、他者との関わりの中であることがほとんどです。なぜなら、自分自身で自分の「思い込み」や「決めつけ」に気付くのは本当に難しいことだからです。
ではなぜ、「思い込み」や「決めつけ」に気付いたほうが良いのでしょうか?
無意識にしてしまっている「思い込み」や「決めつけ」だと、自分に選択権がなく、無意識に大切なひとを傷付けてしまうことになるから(傷付けたことにさえ気付けない場合もあり)です。
例えば冒頭の場面。
「園児に『いじめ』という言葉はわからない」と思い込んでいる状態と思い込んでいない状態だと、「僕、〇〇君にいじめられた」と相談された場合、どんなふうに対応が変わってくると思いますか?
「何が正解」というのはないのですが、大切なことは、
思い込んでいる状態と思い込んでいない状態のどちらを選択したいか?
を自分で決めて行動できていることが分かれば良い、ということ。
無意識に思い込んでいる状態では、選択肢すらない状態です。
きっとどちらにもメリットもデメリットもあるはずです。
そこを理解した上で、「自分がどちらを選択するかを決める」
人生は「選択の連続」とはよく言いますが、「思い込み」や「決めつけ」も
自分で選択していきたいですね!