先日友人から
「どうやったら『折り合い』ってつけれるの?」と相談を受けまして。
つい今日も
「折り合いつけて付き合っていかないとね」
なんて言葉も聞きました。
「折り合い」ってなんだ・・・。
友人から相談をされた時に考えたことを少しシェアすると。
「折り合い」の相手は2パターンに分かれるのかなと思います。
①誰か相手がいて、その相手との「折り合い」
②自分の中の感情の「折り合い」
①の場合の「折り合い」という言葉を使う時、大抵は「諦め」に似た感情で話していることが多いのではないでしょうか?
なぜ、「諦め」という言葉を使わないのかな?と考えてみると
私の場合、「諦めるのは嫌、『折り合い』という言葉を使うことでなんとなく大人になった気分」笑。
つまり、「大人だから」と同じニュアンスで使っているような気がします。
自分の気持ちを横に置いて、相手の気持ちを優先させる。
角が立つのも嫌だし、自分の感情をかき乱されたくないし・・・。
だからかき乱される前に、自分から引く。
よく言えば「大人」ですが、ただめんどくさいだけじゃない?笑
最後には感情がかき乱されてしまうわけで、そこにいたくない、という気持ちの表れ?
あれ・・・。
2パターンのうち、①の相手がいる場合を考えていたつもりが
結局は、自分の感情にたどり着いてしまった・・・。
そういうことなんですかね〜。
全ては、自分の感情との「折り合い」
友人との話の中では、
「こうでないといけない。という思い込みから抜け出せない時に『折り合いをつけたい』と思うのではないか?」という話にもなりました。
例えば子どもに対して。
「『そんなにゆっくりしてたら遅刻するよ』と言いたいけど言わない。けど言わないといつまでもモヤモヤしてしまう。イライラして「遅刻すればいい!!!」と思っても、結局最後は言ってしまう。」
みたいなこと、ありませんか?
最後まで放っておくことができない、心優しいママが陥りがちな光景ですね。
私もそうだったのですが、最近は最後まで放っておくことにしています笑
理由は、「そのモヤモヤ、イライラの原因が『遅刻してしまう子に育てているのではないか?と思われるかもしれない』という私自身の不安だったから」です。
あくまでも私の場合は。
最後まで放っておくことが正解かどうかは別として。(そもそも正解ってなんだ、という話にもなってしまうので)
自分自身の不安だと知ってからは、自分の中での「折り合い」はついていることが多いのかもしれません。
心の中の対話はこうです。
「あー、こんなことしてたら遅刻するな」
「実際に遅刻したら周りにどう思われるのかな。先生は『またあの家の子か』って思うかな。」
「私のせいにされたら嫌だな・・・。あ、ということは私の心配してるのか。」
「だとしたら、遅刻したらどう感じるかは息子の問題だし、私が私の心配をして息子を怒るのは違うかな」
こんな感じ。
本当はもっと切羽詰まっていて汚い言葉になりますし笑
もっと複雑だし、もっと不安が大きい時もありますけれど。
ただ、ここを考えられるようになったから、自分の中で「折り合いがつかない」ということは少なくなったかもしれません。
また、心のバランス、ホルモンバランスなどによって特に女性は大きく感情が揺れ動きます。
「こないだはできたのに今日はできない」ということも多々あります。
大切なのは、「今日できない」ことが自分にとってどのくらいのダメージなのか?を知ろうとすることではないでしょうか。
例えば「ホルモンバランスが乱れていて仕方がない」と思えば、そんなにダメージは気にならないでしょう?
「今日できないからバツ」なのではなく、そこからもう一つ、何かを掴むことができたら
むやみに自分を責めたり傷つけたりしなくても済むかもしれませんね。
たまにはゆっくりじっくり、自分の心を癒しながら向き合ってみる時間を取るのはいかがですか?