私のライフワークの一つに「たいわ室」という活動があります。
たいわ室は、オンラインで小中学生と30分一緒に過ごすコミュニケーションルームです。
私たちたいわ室コーチは「聴く」を大切にしていますが、実際は話を聞くだけでなく、
一緒にゲームをしたり、ゲームを楽しむ様子を見ていたり、「話さない」を選択する子も。
その子その子によって色々な過ごし方があります。
どんな過ごし方をしても、その空気感を一緒に感じることを私は大切にしていて
「この時間って居心地がいい」
そんなふうに感じてもらえたら嬉しいな、と思いながらスキルアップしています。
そして私はずっと、たいわ室コーチと同じ在り方で、我が子たちとも関わりたいと思っていました。
ですが最近、そうである必要はないのかもしれない、と感じています。
子どもたちは、いろんな大人の、いろんな価値観に触れて成長していきます。
ではもし、ママが「完璧な」人だったらどうでしょうか?
「完璧な」という言葉自体曖昧で人によって捉え方が様々ではありますが、
「ママみたいに完璧になりたい」と感じてプラスに働く子もいるでしょうし
「ママみたいに完璧でなければならない」と感じて苦しくなってしまう子もいるでしょう。
つまり、誰かの価値観に触れて、本人がどう感じるか?は
それまでの経験や知識、そしてそれからの出来事や目標によってきっと変わっていくものだと思うのです。
とすれば、ママの価値観もまた、子どもたちが成長する過程において出会うであろうたくさんの人たちの中の「たった一つの価値観」でしかないのです。
確かにママの価値観は子どもたちにとって影響力が大きいのも事実です。
それを認識しつつ、「ママの価値観はこんな感じ。でもそれが全てじゃないよ」と伝えていけたら良いのかな、と。
ママはいろんな役を求められがちでもあり、やりたくなりがち笑。
パパの役
先生の役
友達の役
「良い」ママの役
他にもたくさんあるかも。
やってみて、うまくいくものはやったらいいけど。
やってみて苦しくなるような役は手放してみても良いかもしれませんね。