#9 「みんな違ってみんないい」なんて”ほぼ”幻想

代表 橋爪のつれづれ。「なやっぽのゴールはなやっぽのような活動がなくなるくらい、ママが自分らしく安心して子育てができる社会。」そこに向けてたった1人でも、たった一瞬でも、ママが安心できるように配信していきます。

よく聞く言葉でもある

「みんな違ってみんないい」

詩「私と小鳥と鈴と」金子みすゞ

今日は、この言葉を心の底から理解し、実践できている人はほぼいない、と言っても過言ではないというお話。

例えば、「違いを認められる関係性でいたいよね」と普段から言っている人がいるとします。
そう言う人の中にはその言葉の中に「違いを認められない人は嫌」が隠れている場合があります。
それって本当の意味で「違いを認められる」ということでしょうか?

そこを自分で認識できている場合はまだ良いですが、自分では認識できていない、つまり無意識である場合も多々ありそうです。

実際に私も、違いを認めたい、という気持ちはとても強く持っています。
ただ実際は、苦手な「人」や「関係性」はありますし、「これ以上は無理!」と感じてしまうことも頻度はかなり少なくなりましたが、あります。
特に自分が大切にしていることを、大切にしてくれていないなと感じてしまうとシャッターを降ろしたくなります笑

皆さんはいかがでしょうか?

「私は大丈夫」と感じた人ほど気をつけてくださいね笑

本題はここから。

では皆さんがその人や関係性について「みんな違ってみんないい」と思えない理由はどこにありますか?
きっとご自身が生きてきた経験や知識の中にそのきっかけとなったものがあるのではないでしょうか?

例えば
同じようなタイプの人にとても傷付けられた経験がある、とか。
そういう関係性を誰かと持ったことがなくて不安が大きい、とか。

そういう経験や想いがあるのであれば、「みんな違ってみんないい」と思えないことに、バツをつけなくても良いのではないでしょうか?

そりゃ、いつもどんな時も「みんな違ってみんないい」と思えれば一番なのかもしれませんが、
自分のこれまでを否定してまでそう思わなければいけないとは、私は思いません。

特に、繊細で優しい人ほど、自分を抑えて周りのために、と頑張ってしまうから。
その中でもママは、つい「子どものために」という想いが強くなってしまうから。

偉そうに書いている私ですが、こんなふうに感じるようになったのはここ数年の話で笑
つい最近も友人たちに聞いてもらって心を整理したことも。

その時に感じたのは、いつの間にか自分で自分を窮屈にする枠を作ってしまっていたんだな、ということ。
そして「人に話す」という行為は、その枠に気づくために大切な時間なんだな、ということです。

なやっぽには、「なやっぽの部屋」という、30分、どんなことをお話しても良い場所があります。
子どもの話からスタートして、いつの間にか旦那さんの話になったり
悩みはないと思っていたけど、話しているうちにちょっと引っかかることを思い出したり。

「育児相談」と名前はついていますが、保育園の送迎の時の雑談タイムのイメージで。
気軽にご参加いただけたら嬉しいです。

話を戻して。
「みんな違ってみんないい」って、経験の分だけ一つずつ視点が増えていくものだと私は思っていて。
経験が少ない人がそう思えないのは当たり前のことだし、経験のないことに視点を持つのって結構大変な気がします。
だからこそ、知識だけの視点は「きっと薄っぺらい視点なんだな」と私は自戒も込めて思うようにしていて。
つまり、「みんな違いってみんないい」と思えないことは恥ずかしいことでも、バツをつけることでもないんです。
ただ、その視点を増やしたいと思った時に、この「薄っぺらい視点」をどれだけ自分ごととして捉えようと意識できるか?なのだと思います。

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